4巻子育てブログ
応答的な会話から見えてくる本当
゜・漠然と明確でない事でも、応答的に会話していくと自然に答えに導かれる。無意識の自分に出会えます。一方的な会話からは見いだせない事がある。奥から自然と湧いてくる言葉が大切で、その言葉から本当の自分が分かるのです。人と話しする事で客観的に見えてくる自分。応答的な会話で自分を感じるのです。・
小学校中学年の頃から、母親は頻繁に家事を手伝うよう命じました。最初は洗濯物を畳んで引き出しに「片づける」お手伝いから始まり、食器を洗って片づける等、メニューは日を追うごとに増えていき、掃除機をかける、ゴミを出す、台所水回りの後始末、玄関前の掃除、お買い物、洗濯して干す、土曜の昼食、時々夕食を作る等。ほどんど全てな感じで家事をするようになったのです。「女の子は専業主婦になる」時代があったから。なので頑張って公園へ遊びに出かけた訳です。
誰のお陰
「一体誰のお陰で○○○○と思っているの!」
と母親に言われた事があり
「ん ?!」とっさに疑問形。
「そんな事言われるくらいなら生まれてきたくなかったわ! どうして生んだの?」と
急ではありましたが
お返しの言葉
かなり勢いある返しをしました。
ボ~っとしてた
昔は戦争もあって
子どもに対する
意識が違って
記憶が定かでなく
○○○○の部分は
想像していただける範囲
その前の言葉が
ショックで傷ついたので
◯の部分はもうどうでもよく
覚えるに値せず
記憶が定かでないのです。
自由なお口
自由に育ててもらったお陰で
自由にお返し
それと同時に不安
「この親、私の事育ててくれるのかな?」
そして次に思った事
私が親なら
「そんな風に子どもに言わない」
「そんな風に子どもに言われない」
「私、お母さんになる!」
強く思った瞬間でありました。
まだ小学生の頃でした。
それでも
「一緒に遊ぼう」と思った
「ダメ」が嫌い
言いたくないんだ
良好な環境で
育ててもらえたと思います。
家事は命じられましたが
おまけの言葉で
救われました。
「失敗は成功の基 」
外で失敗すると
笑われて恥ずかしいから
「内に居る間にいっぱい失敗すれば良い」と
失敗しても
叱られませんでした。
粗相の絶えない子
実は私
よく動く子で
「歩く」ように教わった幼少期
狭い家の中
立ち上がると同時
瞬間から走るから
「びっくりするから辞めて欲しい」と言われて
「家の中では歩くよう」言われるも
ご飯ガツガツ食べてて
我慢してたから
自覚が無く
「走っているつもりは無い」のに
「走っている」とか
日常だったこんな子が
居たのです。
ゆっくり動けない子
落ち着きのない子
オマケに
動作が早く
よく食器を割り↓ました。
すぐ壊してた
ちょっと触ったら
簡単に壊れる
日常茶飯事
絶えず
落としたり
割ったり
こぼしたりが
私の代名詞。
それでも
数が増える
笑ってくれて。
割ったかけらを数えて
冗談に変えて
「この子は仕方がない」と
言葉通り
許してくれました。
花瓶を割って
2階へ駆け上がり
触れて
割って上がって行ったと
下で騒いでいるから
降りてきた時があるのです。
何故いつもそうなのか
気づかないのは
自分でも
謎で
世の中には
よく分からない事が
あります
コタツに味噌汁
よくこぼしました↓
さすがの私も
「汚い!大変だ!叱られる」
と思いましたが
親は受け入れてくれた!
「この子はそそっかしい」と
「仕方がない」を繰り返し
掃除していました。
恐縮
それでも
そそっかしいのは直りません↓
しょっちゅうこぼすようになると
コタツが進化
カバーがついて
カバーがビニール化されて
「掃除が簡単になった」と
笑っている。
なんとも
有り難い環境で
言葉・表情・態度の一致
正しく受信できます。
その時
何を言っているのか
よく分かり
正しく受け取れます。
子どもは真似する
真似して
返すから
家でいつもするから
癖になり
習慣になり
外の誰にでもするから
性格になって
「素直な子」
周りの大人から
よく言われた言葉。
特に改めて言われる程で
何故なのか
不思議な感じで
分かりませんでした。
毎日天真爛漫
怖いもの無し
悩み事無しで
毎日楽しく過ごして
困難にあっても
へこたれないのは
大して
「叱られなかった」から。
失敗は
改善すれば良い
程度にしか捉えていないから
困難にあっても
日常茶飯事
ダメージがないのです。
そして
公園に
よく出かけたので
他者と話しする機会が多く
おしゃべり好きになったのも
必然だったと思います。
自分の中心にキラキラの思い出を持って
社会を謳歌して欲しいと願っています。
ありがとうございました。
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